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Brightly.

歩んできた僕らの道標。あの日あの時忘れはしない。
衝動的に。僕等は、大空へと羽ばたいて行った。
抱え込んだ全ての苦しみを、忘れ、たくて。

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なんかこう、ひさしぶりにキーボードで文章を打つと、
余計なことがあとからあとからやってきますな…。
20日のガゼットのこととか考え出したらキリがない。
もうちょっとフラットにいけないもんだろうかねえ。
昔みたいに、ただただ楽しむ!楽しい!楽しかった!!
それでいいのに、それができないのが難しい。
やっぱりいろいろと考え込んでしまうからだろうねえ。

そういう概念にとらわれたら、楽しめるものも楽しめなくなるから、
なるべくライヴ中はそういうの、忘れようとして、
いちおうは忘れて楽しめてる…つも、り。
概念が、思念が強すぎるとライヴ中でも無理なものはある。
たとえばまあそれは、曲の意思だったり、彼らのモチベーションだったり、
そういう部分で感化されてしまうこともあったりする。
それにひきずられたらだめなんだけどな…。
意思はひとつにすることも大事だけれど、
自分という個は持っておかないと、その場に立っている意味がない。
支えて支えられて支えあうようにせねばならんのよね。
それを踏まえたうえでのひとつの意思となればそれはとても理想。
ただ、最近はそういうライヴというのが少なくて残念。

何をもってして理想の形成とするかっていうのは、
バンドによりけり個人によりけりでまとまりがないのは確か。
そのばらばらの意思をまとめてゆくのが、ステージ上の彼らの役割なわけですよ。
カリスマ性しかりエンターテイメント性しかり。
チカラがあれば、対バンだろうとワンマンだろうとひきずられない。
お客さんのテンションにひきずられたらだめだし、
自分の個が我を張るとそこもダメだったりするわけで。
…んー、難しいなあ。

まあ、そういう、ひっぱってゆくものはやはり、「曲」が大いなる要素かなあ。
曲にのる言葉、言葉を広げるウタゴエ、演奏。
ただただはやりに乗ってうすっぺらい言葉の羅列だと、チカラも薄いしねえ。
わたしはやっぱり日本人だから、英語はなじみにくい。
右から左なんだぜ。

そして、こういう要素の話はなにもびじゅある系に限ったことじゃあないしね。
音楽、すべてに通じるはなし。

最近のJ-POPがうすっぺらいと感じるのもそれ。
言葉に真実味もなにもないような、そんな気がします。
そしてびじゅある系もね。
ゆるぎない意思を見せてみればいいのですよ、要は。

そしてわたしはそれを語るのみ。
うみだすほどのエネルギーは持っていないからね。
そのエネルギーを、光合成のように吸収して、
二酸化炭素のように、こうやって、感じた言葉を吐き出すだけ。
植物ですよ、要は。
いい太陽にめぐまれれば、わたしももうちょっと成長できるんだろうねえ。
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